サドラーズウェルズの足跡を探る
1981年 アメリカで生まれたサドラーズウェルズ。
父は屈指の名馬、ノーザンダンサー。母はフェアリーブリッジ。母の父はボールドリーズン。
現役時代も厩舎NO.1ではなかった。種牡馬としても、そんなに期待はされていなかった。しかし、産駒が次々と勝利を重ね、ノーザンダンサーの後継馬の中でも、最も成功した種牡馬となります。
競走馬としてのサドラーズウェルズ
アメリカ・ケンタッキーで生まれたサドラーズウェルズは、ロバートサングスター(大馬主)の所有馬となり、競馬会において最も偉大な調教師ヴィンセントオブライエン厩舎に入るというエリートコースとも言える道を歩み始める。
デビュー2戦
2歳時、初戦にデビューすると、6馬身差で圧勝した。
続くベレスフォードSでも、これまた6馬身差の勝利を収めた。
同厩舎ダービー
3歳初戦となるグラッドネスSで、一つの大きな分岐点を迎える。それは同レースに、同厩舎、同オーナーのエルグランセニョールとの戦いを迎えることになったからだ。陣営は勝った方を英ダービーへと向かわせ、負けた方は裏路線へと決めていたのかもしれない。
結果は陣営の予想通りかエルグランセニョールが2馬身差で勝ち、サドラーズウェルズは2着となった。
裏路線から厩舎のエースへ
裏路線へと進んだサドラーズウェルズは、先ずはデリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ)へ出走、インフレーションビーターに首差で勝利。
そして、愛2000ギニー(愛GⅠ)に出走し、頭差で勝利を収めることになる。
実はこのレースには、後の英ダービー馬セクレトも出走しており、3着に敗れていた。
何という皮肉か、エルグランセニョールは英ダービーでセクレトの2着に敗れることとなり、
もし グラッドネスSで 、主戦騎手であったエデリー騎手がエルグランセニョールではなく、
サドラーズウェルズに乗っていたら2頭は正反対の道を歩んでいたのかもしれない...なんて勝手に想像したりして(?!)。
それだけ陣営はエルグランセニョールを、厩舎のエースとして期待をかけていたことが伺える。
その後エルグランセニョールは怪我で引退を余儀なくされ、
サドラーズウェルズはヴィンセント・オブライエン厩舎のエースとなる。
この年の注目の3頭
- エルグランセニョール
- セクレト
- サドラーズウェルズ
3頭の対戦成績
1着 | 2着 | 3着 | |
グラッドネスS | エルグランセニョール | サドラーズウェルズ | |
愛ギニー2000 | サドラーズウェルズ | セクレト | |
英ダービー | セクレト | エルグランセニョール |
セクレトの小話
※セクレトはエルグランセニョールと出身牧場が一緒で幼馴染だった。当時ノーザンダンサーの子供は平均85万ドル前後で取引されていたが、セクレトは母馬が未出走馬であり、その初子だった為か半額以下の約34万$でベネズエラで有名なルイージ・シリエッティーに、買い取られていてヴィンセント・オブライエンの息子に預けられていた。
新たなる戦い(仏ダービー)
この勝利を受けてか陣営は、予定を切り替えサドラーズウェルズを、仏ダービーへと向かわせる。
17頭1団となって進んだレースだったが、残り400Mでサドラーズウェルズが先頭に躍り出る、
その背後からダルシャルーンとレインボークエストが追い込んでくる。
再び引き離そうとするサドラーズウェルだったが、最後は力尽きてダルシャルーンに1馬身半差されての2着に終わる。
新たなる戦い(エクリプスS英GI)
エルグランセニョール引退後、厩舎のエースとなったサドラーズウェルズは、エクリプスS(英GI・1609M)に出走。
並み居る歴戦の古馬たちをレコード勝ちで破り、その勝利は大いに称賛された。
新たなる戦い(キングジョージⅣ世&クイーンエリザベスDS)
続く、キングジョージⅣ世&クイーンエリザベスDS(英GI・2390M)では、
前年度、英ダービ馬ティーノソに2馬身半差をつけられての2着に終わるも、
他の欧州の強豪馬たちに先着したことは大いに評価された。
新たなる戦い (ベンソン&ヘッジス金杯)
次走、ベンソン&ヘッジス金杯【芝2500M】(現在のインターナショナルS)に出走するも4着に破れる。
2400M前後以上になると、勝つのは難しいのか?
新たなる戦い(フェニックスチャンピオンステークスGI)
しかしながら、フェニックスチャンピオンステークスGI・2000M(現アイルランドステークス)を勝ち3つめのGIタイトルを獲得した。
現役最後の戦い(凱旋門賞仏GI)
そして、最後の直線レースとなってしまった凱旋門賞で18馬身差の8着に破れて現役を引退することになる。
種牡馬になることは決まっていたが、2400M等の距離不安から、あまり期待されていなかった。
種牡馬 サドラーズウェルズ
種牡馬デビュー (1年目産駒)
2400M前後の勝ち鞍がなかったサドラーズウェルズは、産駒にも影響されるだろうと思われていたが、産駒のデビュー1年目に、オールドヴィックが、仏とアイルランドのダービーを制覇。
インザウィングスが、コロネーションカップGI、サンクルー大賞GI、ブリダーズカップ・ターフGIを勝利し見事な成功を収める。
種牡馬 2年目以降
1990年 イギリス・アイルランドのリーディングサイアーに輝く。
1991年 翌年はカーリアンに王座を譲ったが
1992年~2004年 13年連続のリーディングサイアーに輝く (2005年にはディンヒル、モンジューに抜かれる)
ステークスウィナーとして、323頭を送り出す。
※ステークス競争・・出走登録料を支払わないと出走できない競争で、集まった 出走登録料 は着順 に応じて上位馬の所有者に分配される。
80頭以上のGI勝利馬を輩出(GI戦130勝利以上)
なかなか英ダービーを勝てなかったので、距離不安もやはりあったのかと思いきや
2001年 ガリレオ 2カ国ダービー制覇を果たし、サドラーズウェルズはサイヤーとしての輝きを放つ
2008年 この年サドラーズウェルズは種牡馬を引退
2011年 余生を送っていたクールモアスタッドにおいて30歳で他界。世界中から惜別の賛辞が贈られた。
子供たちに受け継がれるサドラーズウェルズの血
サドラーズウェルズの死後もその血統は途絶えることを知らず、
英国アイルランド・・・ ガリレオ(14戦無敗のフランケルを輩出、英愛ダービー制覇)
フランス ・・・ モンジュー(凱旋門賞1999制覇…エルコンドルパサーを破り、日本競馬ファンの夢を打ち破る,JCは4着)
北米 ・・・ エルプラド(初めての北米リーディングを取る)
南米 ・・・ フォートウッド(自身=パリ大賞GI、ノアイユ賞GⅡ 産駒=南アフリカGI4勝)
豪州 ・・・ ハイシャパラル(ソーユーシンクが、オーストラリア・イギリス・アイルランドで、GIレースを10勝する)
日本へもやってきたサドラーズウェルズの血
日本の高速馬場には適さないといわれながらも、日本では産駒のオペラハウスがテイエムオペラオーを輩出し、テイエムオペラオーは、
1999年 皐月賞【1着】ダービー【3着】菊花賞【2着】
2000年 天皇賞(春) 【1着】 宝塚記念 【1着】 ジャパンカップ【1着】 天皇賞(秋) 【1着】 有馬記念【1着】・・・この年、8戦無敗!(史上初の古馬中距離路線の完全制覇を達成)
2001年 天皇賞(春) 【1着】 (2年連続)と、サドラーズウェルズの血は日本でも爆発
メイショウサムソンもオペラハウスの子供であり、サドラーズウェルズの孫として2006年クラシックにおいて、皐月賞、日本ダービーを制覇したことにより、サドラーズウェルズの血は、日英仏においてダービー制覇となる。
(母父)としても、エルコンドルパサー、フサイチコンコルド、シーザリオ、ヘヴンリーロマンスとGI馬を輩出。
血統を探るとき、忘れてはいけない注目の1頭である。
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