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2021年8月31日午後7時、ドゥラメンテが永眠いたしました。
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ドゥラメンテの、競走馬としての、栄光
キンカメ × アドマイヤグルーヴ(サンデーサイレンス)産駒として
2015年に皐月賞とダービーを制し、この年JRA賞最優秀3歳牡馬を受賞したドゥラメンテが,
この世を去りました。
まだ9歳でした。(死因:急性大腸炎)...2021年8月31日午後7時
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日本ダービーを制し、菊花賞も向かうところ敵なしと思われていましたが、競馬の神様は、そう簡単に三冠馬という最高の名声をドゥラメンテに与えることはありませんでした。
ダービーの後の放牧先で、骨折が判明し、三冠路線を頓挫せざるを得なかったのです。
復帰戦は8か月後の中山記念GII、カオスモスが逃げ、ラストインパクト、ロゴタイプ、マイネルラクリマと続く先行勢の後ろを虎視眈々と追走。最終コーナー抜け出ようとするラストインパクトを逃がさず捕らえゴールへと向かう。最後に猛追してくるルメール鞍上のアンビシャスと福永のリアルスチールの追撃を許さずそのまま先頭でゴールイン。見事に復帰を果たす。
ドヴァイ遠征
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1か月後には、日本代表名馬として、ドバイシーマクラシックに、出走する。同レースに日本から、ワンアンドオンリー(武豊)ラストインパクト(Jモレイラ)そしてM.デムーロを背にドゥラメンテが世界の強豪に挑みます。逃げるアイルランドのGI馬ハイランドリール(Rムーア)、中段に1番人気のキングジョージを制したポストボンド、ポストボンドを見るようにドゥラメンテが続く。最後の直線、ハイランドリールをあっさり交わす王者ポストポンド、ピタリとデムーロがその後ろを追走する。引き離そうとするポストボンドに内に切れ込み必死に追いかけるドゥラメンテ。しかし、もうひと伸びしてドゥラメンテを引き離しポストポンドがこの年のドバイシーマクラシックを制した。2着にドゥラメンテ3着にラストインパクトが入り、ポストポンドには、かなわなかったものの世界に、日本馬ここにありをアピールできたレースだったと思います。
引退レースとなってしまった宝塚記念
そして最後のレースになった宝塚記念GI、1.9倍の1番人気に推されて迎えたレースであった。レースは同期のキタサンブラックが逃げる。前半1000mは60秒を切る流れるレース。後方から外をぶん回して激しいデムーロの騎乗に素直に応えぐんぐんと伸びる。しかし、伏兵ともいえる牝馬マリアライトが馬群の中からゴール前グイっと伸びる。メンバー最速の上りを使ったドゥラメンテの猛追及ばず、2着という結果に終わる。後の7冠馬となるキタサンブラックには3度対戦して1度も負けたことはなかった。
ドゥラメンテは、このレースの後、左前脚球節下部およびつなぎの複数の靭帯、腱に内出血や炎症を起こし競争能力喪失と判断され現役を引退することになった。
ドゥラメンテの華麗なる血筋
ドゥラメンテの(母)は、アドマイヤグルーヴ
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サンデーサイレンス × エアグルーヴの仔であった、アドマイヤグルーヴはクラシックでの戦いでは同期の強豪スティルインラヴの壁に惜敗してきました。ローズSを完勝し1番人気で望んだ秋華賞でしたが、またしてもスティルインラブの壁を乗り越えられず2着。 結局この年、スティルインラブ は17年ぶりの牝馬3冠に輝いた(幸英明騎手)。
しかし、翌月に行われたエリザベス女王杯では、壮絶なスティルインラブとの叩き合いを制し、見事にGI馬となる。(3歳馬によるワンツーフィニッシュ)。翌年のエリザベス女王杯も大逃げを打つオースミハルカを差し切り2年連続でエリザベス女王杯を連覇。その後、衰えを見せ始めたアドマイヤグルーヴは宝塚記念8着の後、上村騎手に交代。そして勝てば3連覇となる2005年のエリザベス女王杯に臨むと、逃げたオースミハルカをスイープトウショウが捕まえて優勝。(2着オースミハルカ)その3着に入り意地を見せた。武豊騎手のエアメサイア(1番人気)は6着に終わった。引退レースとなったのは阪神牝馬S(GII)は、武豊騎手を背に戻し、ゴール前追ってくる、マイネサマンサ(安藤勝己)とレクレドール(ペリエ)を寄せ付けづ、鮮やかに最後を飾る。
ドゥラメンテの(母母)は、エアグルーヴ
トニービン(1994サイアー) × ダイナカールの仔であったエアグルーヴ。
1996年のオークス(GI)で優勝。
1997年の天皇賞秋(GI)で優勝。
1997年のジャパンカップ(GI 武豊)2着【1着ピルサドスキー】
1998年のジャパンカップ(GI 横山典弘)2着【1着エルコンドルパサー(凱旋門賞2着の日本馬)】
ドゥラメンテの(父)キングカメハメハ(2010~2011)
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2004年 NHKマイルカップ 優勝。
2004年 日本ダービー 優勝。(当時のレコード記録 2分23秒3 現在2021年時点ではシャフリヤール2分22秒5)
秋初戦の神戸新聞杯を快勝。しかし、そのあと右前脚の屈腱炎を発症。長期休養後の復活を目指すか?引退するか?関係者は熟考したでしょうが、ダービー馬として、サイアーとしての未来を託す一頭とした引退する。(8戦7勝)
ドゥラメンテの(母父)は、サンデーサイレンス(1995~2007)
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日本競馬の歴史の中で最もチャンピオンサイアーとして君臨したのが、言わずと知れたサンデーサイレンスで13年間継続しました。2021年現在1位🥇2位🥈はノーザンテーストとディープインパクトで、来年もディープインパクトが更新し続ければ、 ディープインパクト が2位~1位に変わるかも。
日本競馬会を圧倒的に飛躍させて歴史を作ったスーパーサイアーで、数々の優秀な産駒を輩出し中でもステイゴールドやディープインパクトは長期間にわたって競馬会をリードしてきた。
ドゥラメンテの(母母父)は、トニービン(1994)
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アイルランド生まれのトニービンは、イタリアに実業家の、L・ガウチが所有する牧場と妻の名義でわずか3000ギニー(当時為替レートで100万円ほど)で買われた。晩成型のタイプで開花したのは4歳になってからだった。イタリア共和国大統領賞(GI)を勝ち、ミラノ大賞(GI)とGI連覇。その後もサンクルー大賞 (GI) 2着、凱旋門賞 (GI) 2着、ローマ賞 (GI) 2着と実績を積み重ね、ジョッキークラブ大賞(GI)で1着。1988年にはJ・リード騎手を持って凱旋門賞を制覇。同年にはジャパンカップに参戦、4着に敗れたが、このレースでは途中骨折していたことが後から判明した。引退後、日本で種牡馬生活に入る。
・余談 トニービンを手放した、L・ガウチ氏はその資金を元手にサッカークラブのペルージャを買収した。日本との縁を感じたのかどうかはわからないが、当時、注目の的だった中田英寿と契約し、共に大きな成長を遂げた。
主な代表的な産駒 ウイニングチケット、サクラチトセオー、エアグルーヴ、ジャングルポケットなど
ノーザンテースト(82~88、90~92)
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当時、欧州を中心に巻き起こっていたノーザンダンサー産駒の活躍。日本でも社台グループが産駒のノーザンテーストを購入する。競走馬として種牡馬として期待された。
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